笑顔の61m先

そこから君を見ていたい

拝啓、私の全てだった貴方へ。

※この記事は私の気持ちに折り合いをつけるためだけに書いているので文章構成もめちゃくちゃな上に様々な人の気分を害すると思います。少しでも嫌だと感じたらすぐにブラウザバックをお願いします

※一部過激に取られかねない表現を使用しています

 

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私が初めて「アイドル」を、ジャニーズを好きになったのは中学一年生の頃。

 

小学校の時から少クラをなんとなく母と一緒に見ていたり

妹(jrからの知念担ガチ勢)にHey!Say!JUMPのコンサートに連れて行かれたりはしてたけど

「ジャニーズは若くてかっこいい人たちの集まりだなー」

「山田くんの顔綺麗だなー」

そんな程度の感想しか抱かなかった。

キスマイに盛り上がる母たちにも「なんでそんなにはしゃぐんだろう」と

いまいち理解ができなかった。

 

そんな中とあるご縁があり、日生劇場で「ABC座2013 ジャニーズ伝説」を鑑賞した。

幕が開き、舞台からせり上がってきた貴方たちを見て、衝撃を受けた。

 

何なんだ、この人たち。この人たちがジャニーズなの?」

 

JUMPに比べたら大人だし、悪く言えば近所にいそうなお兄ちゃんという感じで、

私がイメージする人たちとは全く違った。

 

それなのに、舞台上で歌って踊って飛んで舞って、ステージを作り上げるその姿はキラキラ輝いていて、私の知っていた誰よりも「ジャニーズ」で。2時間以上あったその舞台をかぶりつくように見た。ずっと目が離せなかった。

 

そして観劇後、母が見ていた「少年たち」のDVDをなんとなく一緒に見て、そこに出ていた貴方を見て、私の中で爆音とともに稲光が走った。そして光が消えたとき、そこには立派なオタクが誕生したとさ。よく誰か沼落ちする時にクレアクの歌詞引用してるの見るけど*1私にとっての沼落ちはInazuma★Venusだった訳だ。これいうとよく笑われるんですけど本当の話なのでそれ以外の表現方法がないんですよね。本当に。

 

 

 

 

そこからの日々は、文字通り何もかもが「初めて」だった。

 

 

 

 

その時のジャニーズのイメージは「毎日テレビに出ている人たち」で、

応援し始めた時はとりあえずテレビを見ていれば

貴方の姿を見ることはできるんだろうなという感じだった。

 

甘かった。

 

ジャニーズウェブの仕組みとかは知っていたので、何のテレビに出るのかなーと

テレビ欄を見て、そこに書いてある文言を見て目を疑った。

 

「ABChanZoo 毎週日曜日放送」

 

おわり。

 

もっとあった時もあるとは思うんだけど、私が見た時にはとにかく冠しかなかった。今だったら「冠番組持てるなんて嬉しい」ってなるけど「ジャニーズ=毎日テレビに出てる人」という考えだった当時の私からすれば「え、テレビこれだけしか出てないの!?」とただただ衝撃で、まあないものはしょうがないのでひとまずメールアドレスをなんとか登録して、テレビに出るときを待つことにした。

 

出ない。

 

なかなかテレビに出ない。週一回の冠番組と一回のJWだけで(行った)

姿を見る日々が続いた。

2カ月ほど経ち、ようやく冠以外のテレビ出演のお知らせ。あくまでメインではなく1コーナーとのことだったけどもう既にするめを通り越して砂漠の如く干からびていた私が一瞬で水分を取り戻すのにはあまりにも十分すぎるお知らせだった。

 

放送日。ワクワクしながらテレビをつけた。

 

その時は本当に番組の中にある1コーナー中のVTR1本っていう扱いで、

使われたのは1時間番組の中で5分ほど。

 

それでも、不思議なことにそれでも、かなり満たされた気分だった。

 

「ああ幸せだ。これでこれからも頑張れる」

 

何も知らない人から見れば「たった5分」かもしれない。

 

でも、確かにあの5分を見終わった後私の中にあったのは

「応援しててよかったな。幸せだな」

という感情だった。

 

テレビに出るのがこんなに難しいなんて、貴方を好きにならなければわからなかった。ましてやたった1回、5分だけのテレビ出演。それがこんなに嬉しい日が来るなんて思ってなかった。

 

過去の映像をありったけかき集めた。

見るたびに新しい貴方の姿がそこにあって、そのたびに嬉しくなった。

現場が多かったこともあり見ても見ても追いつかなくて

明日はこれを見ようと決めて1日を終えることが多くなった。

「明日」が来るのが楽しみになった。

 

これまでの曲が入ったベストアルバムが出た。

ろくにCDなんて買ったこともないくせに、発売日を楽しみにし、当日に手に取った。

見よう見まねでパソコンを使い、親に貰ったプレーヤーに音楽を入れて学校に行く電車とバスの中で聞いた。

退屈だった通学路が、一気に楽しい時間に変わった。

 

カレンダーが出た。

当時自分の予定はあまりなかったけど何か書き込みたくて、

その時決まってた番組やドラマ、冠のサブタイや少クラのテーマまで全部書き込んだ。

文字のぎっしり詰まったそのカレンダーを見たら、何もないように思えた毎日が、なんだかとっても希望に満ち溢れたものに思えた。

 

初のシングルCDが出た。

当時のお小遣いは月1000円ながら限定販売のボイスドラマ付きCDをどうしても全種類買いたくて親とバトルになった。

結局負けて1種類しか買えなかったけど、対立を避けるあまり自己主張をしない方だった私が初めて「誰かと対立してでも欲しい」と気持ちをぶつけることができた。

 

コンサートに行けることになった。

小学校の頃からずっと制服で服を選ぶ習慣すらなく見た目にも全く無頓着だったのに、できるだけ可愛い服を選んで、可愛いヘアアレンジも一生懸命考えた。コンサートがなければ買うことのなかった服やヘアアクセサリーやメイク用品は、今も私を支えてくれるものばかりだ。

 

親友と出会った。

きっかけはまだ周囲が貴方のことを知らない頃、私が携帯の待ち受けにしていたJWパンフの写真を見た彼女が貴方の名前を呟いたことだった。

彼女とは中学高校の間はもちろん、家族以外の中では恐らく一番長い時を共に過ごした。

元々地元が近い上かなり気が合うのでいつかは仲良くなっていたと思うが

少なくともあの出会い方じゃなかったら私はここまで心を開いていなかった、と思う。

 

 

 

思い返せば私の「人生」、全部、ぜんぶ。

 

全部、貴方と貴方のグループと一緒にやってきた。

 

 

 

インターネットのことなんか何一つ知らなかったくせに、MVの番協に言及するためだけに見よう見まねでTwitterを始めて、初めて学校の人以外と話をするようになった。

そこで知り合った人たちが集まって鑑賞会を開くらしいという話を聞いて、勇気を出してその会に参加した。

今でこそまだ右も左もわからないような私に当時お会いしてくださったみなさんが優しく話を合わせてくれていたということがわかるけど、

年齢も住んでるところも境遇も違う、普通に暮らしていたらおそらく話すきっかけすらなかったような人たちと

 

A.B.C-Zが好き」

 

このたった一つの共通点だけで、こんなに楽しく話ができるんだと知った。

 

会えても1年に数回、現場の時くらいにしか会えない人がほとんどだし全く会えてない人ももちろんいるけど、今付き合っている人は私がツイッターを始めたと同時くらいに繋がっている人たちばかりなので、殆どの人が10年来の付き合いになる。貴方が舞台上にいなかったらきっとすれ違うことすらなかったようなこの人たちは、一人残らず私の人生に無くてはならない人たちだ。

 

コロナ禍になった。

毎日疫病のニュースばかりで、ライブも軒並み中止になって、気持ちが沈んでいた。

そんな中、ものまねグランプリの出場が決まった。

楽しみにしていた予定が何もかも吹き飛び、カレンダーに書いていた予定は「消す」ことしかできない。そんな先の見えない日々の中で、新しく予定を書き込むことができたあの日の喜びは、今でも鮮明に覚えている。

 

河合くんが年男を迎えた。

応援を始めたのとほぼ同時期に「次の年男でドームホテルの窓やる」という目標を立てそれを達成するために努力を重ねた。当時その目標を家族に話したとき「やるなら全員連れて行ってね」という約束をしていたため*2万が一疫病もらっても間に合うように12月最悪仕事をしなくてもなんとかやっていけるようにバイトの昼勤と派遣夜勤を掛け持ちして資金を貯め、自分が全額負担して家族全員を連れて行った。

ハイパー不純な動機でプレゼントされたその旅行を家族はいたく喜んでくれて

「本当に最高の旅行だった」「あんなに楽しかったことは今までなかった」

と、今でもその話をしてくれる。

きっとオタクじゃなかったら、こんな親孝行をすることもなかっただろう。

 

 

もっと、もっと。5人を見ながら人生を歩んでいきたい。

10年後も20年後もこうしていたい。

去年のツアー最終公演で5人のランニングマンを見ながら、根拠もなくそんなことを考えていた。

 

 

 

 

2023年9月21日。

 

私はこの日を一生忘れることができないと思う。

 

知らせを受け取ったのは電車の中だった。文面を見た瞬間一気に全身の体温がなくなるような感覚に襲われて、やけに心臓の音がうるさく響いた。過呼吸を引き起こし涙も止まらず吐きそうになるのを必死で抑える体と「ああ、『血の気が引く』ってこういうことなんだな」なんてことを考える頭が同じ自分のものだとは思えなかった。周囲の情報を認識できなくなった中でなんとか電車を降りて改札を出たらしい(記憶がほぼない)けど、目的地までの間で歩けなくなってしまい通りすがりのサラリーマンらしきお兄さんに心配させてしまった。アイドルの脱退で倒れて見知らぬ人に介抱されるとかさすがにおしまい人間すぎると思う理性はギリギリ残っていたので「大丈夫です」と何度も連呼したけどよっぽど顔色が悪かったのか全然離れてくれず、仕方なく「すみません、好きなアイドルのことで...」としっかり理性を保ったおしまい人間になることでなんとかお兄さんを離した。たまたまその日開催予定だった「ずっとやっていた1つのプロジェクトが終わった打ち上げ」的な飲み会にも当日ぶっちする勇気もなくなんとか出席したが、さまざまな言葉でスイッチが入ってしまいその都度「生きてる意味ない」「もう人生とかどうでもいいので」などネガティブワードを大連発しながら号泣し同期と先輩に慰めさせたり3個上の先輩のTシャツに向かって号泣したり「事務所には残るんだから大丈夫だよ!」とご自身の知識を最大限活用し必死に慰めようとしてくださる大先輩の上司に「た゛か゛ら゛余゛計゛辛゛い゛ん゛で゛す゛!!!!」と知らんがな号泣して全てのフォローを無に帰し困らせるなど祝いの場に非常に相応しくない傍若無人な振る舞いばかりした。みなさん優しかった。ほんとすいませんでした。(届かぬ謝罪)(届きませんように...)

 

なんで、なんでよ、テレビに出ることが多くなって「テレビでよく見るあの面白い人が歌って踊るとこんなにかっこいいんだ」っていう側面が生まれて、満足度においパフォーマンス実力が占める割合が多くなる時代になるにつれA.B.C-Zがずっと持っていた王道キラキラステージング能力にみんなが気づきはじめてくれて、塚ちゃんも帰ってきてくれて完全体になって、他界隈が集まるフェスの出演も決まって、これから、これからなんじゃないの。

ここからのこと、何もかもが怖くて、とりあえず眠気が来るまで作業しよ.........と思い黙々と作業していたらいつの間にか陽が昇っていた。

 

 

これから、どうなるんだろう。

 

 

この先自分の人生にどんな変化が起ころうとも、A.B.C-Zが「5人」であることだけは変わらないんだろうなって思ってた。

 

最後のABC座を見た。

毎年見られて精々2〜3回だったけど、今年は後悔したくなくて仕事で会議があった日と前日18時に通達された出張(労働環境〜〜〜〜)で潰れた日以外は全部入った。fragranceの最後の右手見た瞬間「今年の命懸け」になり(例:2019年→ctc「悲しみも全部抱きしめて」2022年→火花全般)その一瞬を見るためだけに2幕の途中から無理やり入ったりもした。

 

帝劇自体にもかなり思い出があって、ジャニワ見て「A.B.C-Zってやっぱおじいちゃんから見ても人間じゃないんだ」になったな〜とかE列で維盛きゅん浴びてメモぐっちゃぐちゃにして帰って見返しても全く読めなかったな〜とかなぜかどの席に入ってもちょうどいいところでちょうど河合くんの顔に被るスモークに毎年毎公演キレてたな〜とかもっとあるのに変なんばっか思い出しちゃうけど、それも全部舞台上に河合くんがいてくれたからできたことでこの感情も来年からは無くなるんだろうななどと考えた。前楽の挨拶で河合くんが泣いてしまって、そこから先の記憶はない。

 

 

これからのことは、わからない。

 

仲良くしてくれている人たちと会う機会が減ってしまうのは寂しいのでコンサートには顔を出したいが、そもそも今年入社4ヵ月で異動になった部署が年中無休すぎて今後顔を出せる可能性が限りなく低い。普通に。これに関しては悪いのは弊社と弊社を選んだ私とはいえ今の部署に移動したいとは一言も言ってないんですけどねえ!?!?!?!?!?

 

 

あと正直な話、4人のA.B.C-Zを見て正気でいられる自信がまだない。

 

 

私は、河合くんのバラエティ出演増加や塚ちゃんの休養などを経た辺りで、

河合くん個人と同じくらいか或いはそれよりも深く

「5人のA.B.C-Z」を愛していたことに気づいてしまった。

 

ものまねグランプリ以降露出がとにかく増えまくった直後は本当に嬉しかったし1本バラエティーが決まるだけで飛んで喜んでいたけど、いつしか河合くん1人が100本バラエティに出るより5人で1本音楽番組に出た時の方が嬉しくなってしまっていた。今ほど露出もなくて干からびていた2014年くらいからしたら本当に贅沢だと思う。

 

でもさ、

 

5人の歌が、ダンスが、パフォーマンスが好きだったんだよ。

 

5人でパフォーマンスをしてさ、5人こそが世界であることを確認するその時間こそが何よりも大好きで大切にしたい時間だったんだよ。

 

たとえばこれから「A.B.C-Z」を見にコンサートに行っても、幕が開いて、ステージに立つ彼らの姿が見えた時に、無意識に双眼鏡をセンターから少しずらして貴方を探してしまうだろう。そしてもうどこにもその姿は無いことを解らせられるその度に、絶望してしまうだろう。

 

「5」は「4+1」になるだけだけど、この「4+1」でできる「5」は、

今までと同じ5ではない。

 

事務所にもグループにも追い風が吹いているとはお世辞にも言い難い中でこの決断をしたことを、強い言葉で責め立てる人もいるかもしれない。なんなら私だって発表の日から毎日泣いてるし毎日◯にたいと思ってるし(ガチ)A.B.C-Zが5人で活動しないような世界なんて滅びればいいとわりと本気で思っていた。嘘。今でも全然思ってる。てか昨今の事情を鑑みるに普通に人間とか全部滅ぼして1からやり直した方が絶対いいし(終末過激思想)

 

ずっと5人でいるって言ったのに、離さないって言ってくれたのに。嘘だったんじゃん。自分から手を離すならそんなこと言わないでよ。

 

発表からずっと、自分から出てくるのは彼がくれたこれまでの言葉すらも拒絶して非難するような感情ばかりで。

 

これまでの全てを嘘だと切り捨てて、裏切りだと罵って、嫌いになれたらどれだけ楽だっただろう。

 

 

私の好きな漫画の中に、こんなセリフがある。

 

 

「幸せってところだけは、ホントで居たいよね」

 

 

えび座の最後、幸せでしたと書いてくれた河合くん。

 

河合くんは「アイドル」でいて、幸せだったかな。

 

悲しいことに「我々がアイドルのことで知っているのは顔と名前と職業くらい」ということを再度実感してしまった今「河合くんはこういう人間だから〜」などと彼の気持ちをわかった気になって断定口調で話すことももはやできない。アイドルどうこうの前に、その人の気持ちはその人本人にしかわからないし。

 

だからここからは、「私」の気持ちの話をします。

 

 

 

2013年。その光に灼かれて、焦がれて、文字通り人生が変わったジャニーズ伝説。

 

2014年、始めてコンサートに行けて、初めてグッズを買って、初めて明確に「好き」という感情を持って参戦して「この世にはこんなに楽しい時間が存在するんだ」と思えたレジェコン。

 

2015年、ムンウォ初披露で歓声を要求してその通りに歓声を浴びた時に特に楽しそうに笑ってた姿を見てこっちまで笑顔になったサマパラ。

何時間も歌って踊った後、最後の最後に臨界点を突破するかのようなGreat5で、なぜこの人たちがこんなに眩しいのかを思い知ったえび座。

憧れの先輩とコラボできるチャンスがあるかもしれないとなり冗談抜きで学校中の投票権がある人たちに土下座して回って、必死でチケットを当てて、当日投票3位が読み上げられた辺りから涙が止まらなくて双眼鏡の視界が滲む中ドームの天井から必死で目に焼き付けたカウントダウンコンサート。

 

2016年、DREAMIN'!!でにっこにこの笑顔でパフォーマンスしているのを見て夢を見ているかのように幸せな気分になれたSLT(単独)、one more kissのダンスが好きすぎて泣いた応援屋。

 

2017年、高いセットの上で高所恐怖症なのにそれを微塵も感じさせないで、最後の挨拶「僕たちを応援してたら悔しいこともあると思う。どこでもその声出していきましょう。全部受け止めるから」って力強く笑ってくれた55魂。

 

2018年、受験で一回しか行けなかったけどツカズハナレズとはらはらひらふるで誓いを新たに号泣したLBT本公演。

 

2019年、Steal Your Lipsで初めて決めゼリフらしい決めゼリフを言えてスキップしてた姿を見て(私が)大暴れしたLBT横アリ。「彼」がいなくなってその魂を宇宙に返すかような舞とchance to changeの「悲しみも全部抱きしめて」の右手を見るためだけに通ったGwZ幕張(好きだね〜そこ)

 

2020年、全部の現場が無くなってようやく10月、初手でチカラノアリカを聞き「やっと会えた」と涙が止まらなかった応援屋。ギターを披露して緊張した顔がかわいかったクリコン。

 

2021年、誕生日史上初のうちわ現場BFK。

前日の席がマナー激悪オタク後ろで2時間ずっと視界がソイツのうちわだった上その一帯干されに巻き込まれるという負の記憶を抱えつつ誕生日を祝ううちわを持って参戦したら注目してくれて、思わず頭上に掲げそうになったけど「昨日の私を増やしてはならない」と必死で上げるのを我慢してたら、MCで文言を読み上げてくれた。

 

2022年、台風のヤローのせいで夜が中止になったものの昼を見に行くためだけに雨風吹き荒ぶ名古屋まで初めて遠征したABCXYZ名古屋、東京で「ふみきゅんエアハグして」のうちわを持ってたら渚のback in your heartで振り付けかのようにエアハグしてくれた1秒。

 

最後の挨拶で「アイドルだからね」と置くように呟いて静かに笑った顔。

 

2023年のSLT(フェス)有明、うちわが持てた最後の現場、あんな発表をした2日後のパフォーマンス。

 

そして、毎年の秋冬の生きる理由になってくれたえび座。A.B.C-Zとして最後の現場の、ABC座星劇場。

 

 

 

貴方に出会えてから、今この時まで。

 

どの瞬間も、私は幸せだった。

 

 

 

「ステージの上」で輝いていた貴方を見ていられた時間の中で、

幸せじゃない瞬間なんて1mmも、針の先程も存在しなかった。

 

その気持ちだけは、私以外の誰にも否定する権利はない。

例え本人にも、絶対にさせない。

10年間「アイドル」の貴方からもらった幸せは、全て本物。

 

全てを嘘だと切り捨てて裏切りだと罵って嫌いになるには、

あまりにも貰ったものが多すぎる。

 

 

その漫画によると、「嘘」というのは「とびきりの愛」らしい。

 

正直な話をすると、全然納得してないし、全然受け入れられない。

 

だってすごくない!?河合郁人っていうアイドル、家族でも友人でも恋人でもなんでもない赤の他人である私をこんなにも夢中にさせて、その歌とダンスに執着させて、人生を狂わせて、幸せにできるんだよ!?そんな才能が5人集まった時の煌めきがもう2度と更新されないと思うとこんな世界が存在する意味とは?になるし実際意味なんてないのでやっぱり世界ごと終わらせるしか...になるんだけど、

 

でも私は結局、家族でも友人でも恋人でもなんでもないから。

己の人生を懸けて出したのであろうその結論を、止めることはきっとできない。

 

「この瞬間を見るために生まれてきたんだ」と錯覚させる程のパフォーマンス、その一挙手一投足を見ることに情熱を燃やして。

こんなにも夢中になって、人生の全部を懸けたって後悔しないと思えるものは、きっともう無いから。

 

赤の他人という名の「ファン」である私ができる、唯一のこと。

 

自分の気持ちは飲み込んで、幸せだけを願いながら、

羽ばたく貴方にたった一つの「嘘」を送ります。

 

 

 

 

 

私の全てだった「A.B.C-Zの」河合郁人さんへ。

 

 

 

 

 

いってらっしゃい。

 

 

 

 

 

2013.10.13〜2023.12.21

*1:楽曲「Crazy Accel」の「転げ落ちるみたいに加速して熱い記憶忘れられない」という歌詞

*2:まさか本当にやるとは思わず冗談のつもりだったらしいが